ヌルピョンです。
2日も日記つけるの休んでしまいました。
月曜日うどん屋さん終わりで、ルカ先生のボイトレレッスン、そして、またうどん屋さん近くに戻って、うどん屋さんの新年会に参加、そんなに得意じゃないお酒を、まあまあいただき、深夜家に帰って、ほんとに、ばたんきゅう。
タクシーから降りて2,3分後には深い眠りについていた。
新年会は大学生たちと、大いに語り、僕だけが。
そして、食欲旺盛な学生さんたちのお肉をトングで裏返すのは、邪魔くさいので、お箸で一生懸命裏返しました。
長男と同い年ぐらいの方々と、お食事するのは楽しいもので、大人じゃないから会話も無邪気な感じで、ホッとする。
そんな中、長男と同じ大学で同じ学科の彼がいたので、息子のことを、よろしく頼んでおきました。
夕方のルカ先生のレッスンは、相変わらず会話が弾み、どんどんレッスン時間が長くなって来ている。
一時のスランプからも脱出して、快調である。
翌日火曜日早朝、予想通りずいぶんお酒が残った状態での出勤。初めて、うどん屋さんに行くのが邪魔くさかった。
なので、
「今日は、ボクシングジム休んで、うどん屋さん終わりで、家に帰って、いっぱい寝てやろう。」
と、考えた。
が、例の女軍曹の顔を拝んだら、シャッキとなった。おそるべし軍曹様。
あと、病気じゃないから、体動かして行くと、どんどんアルコールが抜けて行くんですねぇ~。
2時間も経ったら元気元気になっていた。
ひと昔前の僕だったら完全に布団から出てこなかったのにねぇ~。
だからボクシングジムにも行きました。
で、ジムで時々会う次男坊に遭遇し、二人で鶏すきを食べに行きました。
次男坊は、よくしゃべる子で、僕が相槌を打つ側に立つ。
僕は彼から、いろいろ教わることが大いにある。
親バカだが、彼のシャドウボクシング見て、僕の鏡に写っているシャドウボクシングを見ると、
「なんじゃこれ!」
と思い、彼が羨ましくてたまらない。
で、またまた家に帰るのが遅くなり、日記もつけずに早々と寝てしまった。
本日水曜日、朝の出勤列車で、同級生にあった。年末、偶然列車で出会った彼である。
彼は「イモ」と言うあだ名だったので、僕は朝早くから、まあまあの声で
「オォー、イモ!」
と吠えてしまった。
彼は高校時分、デヴィッド・シルビアン率いるJapanに参加していた一風堂の土屋昌巳氏のようなヘアースタイルをしていたし、とても熱くて入れないような銭湯の湯船を平気で浸かっていた。
僕ら入れないから、おもくそ水をくべていたら、常連のオッサンに
「お前ら~、湯船がぬるぬるなるやろう~!」
と言われ、よく怒られた。
僕は銭湯でしか売っていない、おそらく毒が入っているであろうオーバーな着色のジュースが大好きだった。
また、こう言う悪いジュースを作っていたのが、何を隠そう我が祖父である。
大東亜戦争でサイパン島に上陸した水兵さんで、玉砕したにも関わらず逃げ回って帰還した兵隊さんである。
ただ、逃げ回っていただいたおかげで、僕が生まれることが出来たので、感謝である。
今日うどん屋さんの帰り道、寝不足が祟って寝過ごしてしまった。
僕の最寄駅はJR嵯峨嵐山駅だが、この駅を超えてしまうと山城の国と丹波の国の境界線に入ってしまうので、ただならぬ秘境に入り込んでしまう。
その駅で降りた瞬間、絶望感に見舞われた。
その名も保津峡駅、完全無欠の無人駅で民家は皆無。週末ならハイキング客がいるが、あとはサルとイノシシ稀にシカがいるようなところに、あと5分もすれば日が暮れるという状況である。
折り返しの電車はすぐにあるんだろうなぁ~と確認しに行くと、15分後
「あぁ~、まだ助かった~。」
と思ったが、この駅、谷ぞこの上にあるから、こんなとこオッサン一人でいたら自殺願望者とか、ハイキング姿でもないので変態オジサンとおもわれてしまうやん~。
そのうち日も暮れ、さみしいさみしい思いに。
15分後、トンネルの中が電車のヘッドライトに照らされ、安堵感を覚える。
僕は、はっきりプラットホームに立っているので、通過しないで止まってくれよと祈る。
ルカ先生と僕、ヌルピョン。