11月になりました。
プルサチーカヨンといいますタイでは。
今月はロイカツンという灯籠流しみたいな行事もあります。
そんなことは、調べればわかることで、僕がどうこう言うことじゃございません。
今月から通っているタイ語語学学校、これまでの、おしゃべりオンリーの世界から読み書きに移行しました。
最初の日は、ずいぶん戸惑いました。
が、2日目3日目となってくると慣れてきましたが、とても難しいです。
が、僕は文字から入った方が良いタイプかもしれません。
と言うのも、僕は耳が鈍くさいので、音だけで理解していくのは大変時間がかかりそうです。
ハングル語を学びに行った時は文字から入りましたね。
文字を覚えていくのは、そんなに苦にならないし、今の新しいクラスでは明らかに僕は他の生徒より劣っていますが、文字の読み書きでは5分で渡り合っています。
案の定、今回のクラスも僕以外は韓国人です。
酒癖の悪い韓国人だらけです。
中国で日本料理屋を経営している、ほとんどは韓国人です。
暴動で日本料理屋を襲っても大半は韓国ダメージです。
なんやかんや言っても、世話になっていることを覚えておきましょう。
学校で仲良くなったジョンジュニは学校に来なくなったどころか、連絡もとれなくなりました。
非常に残念です。
先月の半ば辺りから
「マイサバーイ」(具合がよくない)
を連発していたので、心配していたのですが。
もう1回あいたいなぁ~。
あれ以来、学校では面白いやつには会えていない。
彼が大変、面白かったので、どうしても彼と比較してしまい。
仲良くなりたいとは思わない。
会いたいジョンジュニ、またどこかであいましょうね。
学校は9月のクラスが最高だった。
4人編成で、残る2人の女性も1人は結婚しに韓国に帰ったし。
もう1人の女性も来月の結婚式に向けて忙しくなってきたのか、学校に来なくなった。
あのクラスでは僕だけが学校に残った形になった。
今は、読み書きのクラスになり宿題の提出があるので、毎日が忙しくなりました。
学校は、あと4ヶ月5ヶ月経ると卒業しようかなぁ~と思っているのと同時に、他の学校に移ることも考えています。
先月は、何人かの日本人に会って、ごはんを食べにいく機会が、そこそこありました。
広島の福山出身のボクシングトレーナーにも会え、ボクシングの繋がりもできました。
たいへん豪快な方で、とても面倒見のいい方だった。
僕など、ほっといてもいいのに、
「ごはん食べに行きましょか?」
とバンコク在住期間中、何回も誘っていただいた。
彼はタイと日本に、それぞれ会社を持っているので、タイと日本の二重生活を送っている。
そこで、ごはんを食べたあと僕は初めてコヨーテクラブに連れて行ってもらった。
ちょっとハイソなクラブだ。
ゆえに女の子も、綺麗な子が多かった。
まあ、ほとんどが人造人間だったが。
久しぶりに、こういう世界の女の子とからんだが、以前よりずいぶんタイ語が話せる自分と出会えた。
「あっ、ヒアリングがダメだが、自分の言いたいことは話せるようになっているんだ。」
と。
まあ、少しは進歩していっていると言うことですね。
よかった。よかった。
で、彼の仲間でタイ在住10年選手を2人紹介していただいたのですが、さすがにキレイなタイ語をはなされるので、どうしたら上手になれるのか、聞いてみた。
そうすると、ひたすら単語を覚えていきました。
という答えが。
僕は、タイに来てから上手にタイ語を話す日本人に会うと、いつも
「どうしたら上手にタイ語を操れるのですか?」
を聞いて回っている。
答えは十人十色で、ある本を丸暗記した。
ひたすらタイ語で話しまわった。
詰め込んで詰め込みまくりました。
単語のみならず例文活用を重視して勉強した。
厳しい学校に通った。
など、さまざまだった。
で、いつもいって下さるのが、あせらなくても大丈夫です。
まだ、3ヶ月4ヶ月でしょ。
みんな、そんなもんでした。
と。
まあ、勉強を怠らずやっていくと、ある日、雲が晴れていくように、藤原さんにも、そんなことが起こっていきますと。
そんな日が来るのが楽しみである。
それから、サンマで食あたりした青年ミュージシャンに同じバンドのメンバーのドラマーを紹介してもらった。
30代半ばのタイ在住の7年選手で、こっちでラジオを開設したりイベントを開催したりと、ミュージシャンだけに留まらず積極的に活動されている彼も、タイ語はスペシャルペラペラだった。
が、以前は日本語に変換しなくて話せていたが、今はタイ語を使う場が減ったため、頭で少し切り替えてから話しています。
と言っていた。
こんな僕からしたら、お師匠さんレベルの方でも、こんなもんですと謙遜しているのに、僕が通っている学校の韓国人、同レベルの連中がベラベラベラと早く話される先生の会話を熟知しているのであろうか?
甚だ疑問である。
彼らはオクシアンといって5段階あるタイ語の特徴である変調を無視してかかってくるきらいがある。
こういったところも民族的にずうずうしいのである。
僕は彼らのタイ語が、ぜんぜん聞き取れません。
し、また彼らは、僕のタイ語がききとれません。
僕のタイ語がなってないのかと言うと、そうではないんです。
僕の側にはタイ人のプーインがいますし、僕はタイ人とも会話するし、日本人に聞いてもらっても大丈夫といってもらっています。
韓国人のタイ語の特徴があるのです。
それは同時に日本人にもあるのでしょう。それは外国人になってみないと分かりません。残念ながら。
タイ語でキレイはスアイ(SUAY)でありますが、韓国人はスオイと言います。SUAYでUのあとにAがくると彼らは、どうしてもクセでオになってしまうのです。
あと、行くはPAY(パイ)ですが、彼らはバイと言ってくるので、何を言ってるのか、さっぱりわかりません。
PHAは日本語のパですが、PAはパを言ったと同時にその音を消す感じなので、短い短いパですが、バではございません。ただし、彼らは、どうしても濁るクセが出てしまうのです。パイだけ単語で言うとパイと言えるのですが、言葉が挟まってしまうと濁っちゃうんです。
ハングルは基本ガ、ザ、ダと濁音はございませんのに、しょっちゅう出てきます。サムゲタン、文字だけで読めばサムケタンですが、自動的に濁ります。
このクセが、どこでも出てしまうのです。
あと、4ヶ月もタイにいると、すごく離れた場所に日本人がいても、すぐに分かってしまいます。
なぜかと言うと、歩き方でバレてしまいます。
これはもう一目瞭然であります。
僕は母国人の歩き方に特徴があるとは思いもよらなかった。
離れてみてわかったことであります。
あっそうそう、ドラマーの方について話していたのに、ずいぶん脱線してしまいました。
彼は、見た目は育ちのよさそうな上品な感じなのですが、これが意外と辛口で批評するところの価値観が似ていて楽しかったのであります。
彼もロック、パンクロック、ハードコアというところをうろついた人なので、僕と似たところがあるのだろうと想像できたのであります。
勝井さんがタイに来てくれたおかげで、こういった人に出会えて、音楽を通じて会話ができることに、ありがたみを感じます。
まあ、僕はしばらく語学に励むことです。
それから、それから、あと10日もすれば僕の大好きな人たちがバンコクに来てくれます。そう僕の仲良しが。