2月に入って、暑くなりだしたバンコク、冬が終わって夏に入りました。東京では大雪っていうのに。
そのおかげで東京競馬場は中止に延期が続く有様。
1月31日(金曜日)
最後のカオサンへの出勤。遠くもあり今回のデモの発祥の地であり、辟易していたので気持ち的には、
「うれしい。」
本日は勤めていたバーの引っ越し、ピックアップ・トラックで3往復。
僕的に語ると、カオサン地区(バックパッカーの巣窟街)からトンロー地区(日本人駐在員のメッカ)への移封である。
しかも石高は2倍半の加増移封である。
ですから、これまでのキャパシティから考えられないぐらいの広さに変わる。
移封先のトンロー城の天守閣は、地上6階建ての地下0階、平屋の小天守が連結している、ビッグなお城である。
2月1日(土曜日)
本日より出勤はトンロー城へ。
僕の家から登城にかかるお時間は、スクーターで5分10分。
これまでの登城時間は約1時間。
ずいぶん楽になった。
今日のお仕事は、お城の気に食わない部分のぶち壊し!
および深夜、侍女のひと騒動。
これには、
「参った。」
僕は、あまりの不意打ちに、ノミを片手に暴れまわる侍女を、
「殿中でござる。」
や、
「この乱心者、成敗いたす。」
などの言葉も出ず、取り押さえることもできず、ただただ殿のお側に侍ることで精一杯、そして殿のお言葉を待つも、下知なし。
「へぇ~!」
である。
そして、よくよくお顔を見ると、にたにたして、おののいていらっしゃるだけ。
「あっあ~!」
竹中半兵衛のごとく、一瞬にして城を乗っ取られたのである。
で、近くのトンローヶ原に殿ともども連行され、弾劾状を叩き付けられる始末。
さすがに侍女が、弾劾状を口上で述べてる間に怒りが込み上がり、体内のいたるところから、
「ブチ、ブチ、ブチ。」
と毛細血管が切れる音がした瞬間、僕はもう噴き出していた。言葉を。
ただ、殿のお手の付いた侍女ゆえに、怒りに任せて口を動かすことだけはしなかった。
言葉を選んで懐柔するように、諭すように語った。
しかし、僕の本当の心境は、袈裟斬りの斬り捨て御免である。
僕は殿に仕えているのである。殿を超えて号令されても、
「何ですか?」
「何の権限で下知されてるんですか?」
「気でも狂ったんですか?」
と様々な質問が込みあがって来る。
しかも、その弾劾状に僕の知り合いなり友人を食いもんにする発言があり、これはもう許されないことである。
完全に興ざめだ。
家臣は、生け贄を提供する義務があるのか?
そんな文化は世界一歴史を持った国にはない。
半島から先には、そんな文化が存在する。
「あ~、この人、あちらの人か?」
と思うと気が楽になる。
し、もういいわ十分、怒ったし。
2月2日(日曜日)
本日より天守の壁のペンキ塗り開始。
黒漆喰か白漆喰のどちらを選択されるのかなぁ~と家臣団(家臣団と言っても僕だけだが)が見つめる中、殿のご選択は、
「白漆喰。」
徳川の影響下にあるお城作りに、殿は元々、武蔵の国の方なので豊臣の影響が薄いのだろう。
僕のお仕事の主流は、おもに片付け、ペンキ塗りはサブまで。
ゆえに殿ほどペンキまみれにならずに済む。
殿はブルージーンズが、ホワイトジーンズに。
2月3日(月曜日)
追手門の改修へ、強烈なシールはがしのため、シンナーと葛藤。
シンナーを何本も何本も使うも強烈なシールのため、悪戦苦闘。
車の窓に貼る黒のシールが、2メートル四方貼られていたので、それを剥がし、剥がした後に残る強烈粘着質の糊を剥がすのである。
地道な作業に加え、シンナーが脳を襲ってくる。
早いとこ切り上げたいが、糊がなかなか落ちてくれない。
嘆きの壁である。
2月4日(火曜日)
本日も追手門の強烈粘着質の糊を剥がす作業。
と言うことは、嫌でもシンナーと付き合わされる。
シンナーのビンには、大きくドクロの絵が書いてあるのである。
そんなものと1日中対峙するのである。
危険極まりない。
僕は、そこそこ歳だから、もういいけど、若い子や我が子なら強制的に止めさしますし、こんなこと人にさせません。
2月5日(水曜日)
お城の規模が大きすぎて、殿と2人では全然はかどっていきません。
また下知が2転3転するので、時にはバックすることもあります。
2月6日(木曜日)~2月11日(火曜日)
日課のように店作り、なんとなく大工さんが職業のようになってくる。
因みに僕の父親は大工だった。
2月12日(水曜日)
久しぶりのお休み、いただきました。
2月13日(木曜日)~2月19日(水曜日)
大工さん稼業スタート。マンネリ化してきて、気づくことも感じることも失せて来る。いわゆる厭戦気分だ。
2月20日(木曜日)
久しぶりに音楽仲間と交わる。
やはり、この空間は僕、落ち着くんだ~。
タイに来て、しばらくして仲間に加えてもらって、一緒にお酒飲んだり、ごはん食べたりして、タイでは、この仲間うちしか知らなかったが、働き出してからは、なかなか彼らと会うことも出来ずにいたが、こうしてまた会って、一緒の空間にいると心地いいことありゃしない。
すっぽり嵌るんだなぁ~、これが。
タイにも安心できる連中がいて、よかった。
もうお店の話しは飛ばします。
2月22日(土曜日)
勝井さんのお弟子さんのバンドが来タイ。
僕は、サウンドチェックで泣いてしまった。
凄くよかったんだ~。タイ人のメインのバンドを完全に喰っていた。
さすが日本人!誇れますね~。
SGTと言う名のバンドです。
また、勝井さんのお弟子さんが、ちゃんとした女性だったことに驚きました。
そして、この日、違う場所でタイに来て初めて見た日本人バンド(ユニット)が解散ライブを行っていた。
ヴォーカルのお姉さまが帰国なさるので。
僕が、音楽仲間に入れるきっかけとなったバンドなんだ。
楽屋代わりの喫茶店で、僕は彼らにデリカシーもなく、ずけずけ話し込んでも相手にして下さった方々なのである。
最後の最後にライブ見れてよかったです。
鬱屈としていた僕に、この日は風向きがよかった。
2月23日(日曜日)
JRA今年最初のG1レース「フェブラリーステークス」
16番人気の馬が栄冠。
2月24日(月曜日)
新しいお店にタイ人スタッフの女の子2人が、今日から働きだした。
僕は、下手くそなタイ語で彼女たちにお仕事を教えることが始まった。
新しい刺激である。これによってタイ語が進歩するかもしれない。
厩舎では、下手くそなタイ語でもドーベルは、なんなく理解するので、違うタイ人と交わることによって、向上を図ろう。
そして、この日の夜、ガラの悪い連中5人が突如として店に現る。
僕は、店はまだ開けてないと言ってるにも関わらず、どんどん店の奥に進出して、いちゃもんを付け出した。
取り立てである。
「シャバ代払え!」
と言う。
タイは、民主主義の体の国であるが、中味は江戸時代である。
しかも、この取り立てはマフィアとかそういう裏社会の人とかじゃなしに、立派な警察官なのである。
だから、
「お代官様、これでなんとかお願げーします。」
の世界なのである。
こんなところに、僕、住んでます。
2月25日(火曜日)
なんとなく過ごし。
2月26日(水曜日)
店のオープンが正式に2月28日に決まる。
2日前ですよ。
この日、2回目のタイ人スタッフとの絡み。
そして、いわゆるゲネプロを行う。
2月27日(木曜日)
明日のオープンに備える準備も、なんとなく準備不足は否めない。
明日、2月28日(金曜日)
新しいお店、グランドオープンです。お店の名前も変わりました。
「ひそか」
です。