ピョンヌルで~す。
なんでもいいけど、しょうもないコメントよこすな。
気持ちを新たに、ヌルピョンです。
先週は、いろいろありまして、気持ちの変動が激しい1週間でした。
まず、月曜日16日、バンコクでのうどん屋さん計画が無期延期になりました。
理由は、僕が丁稚奉公しているお店が、バンコクに出店してしまい、今後5年間で30店舗まで広げていくのと、日本で食するのと全く同じ味を出していて、しかも価格も3割減で食べれるのである。
ゆえに、もうやめとこ!と言うことに相成り、僕は早速、店長に辞めさせて欲しい旨を告げることにする。
僕は友人と、バンドを組むノリじゃないけど、なんでもいいから何か一緒にしたかったのだろう。
でも、それだけだと一緒にする人も、僕の熱が伝わらないから、
「あいつ、どうしたいねん」
と相成る。
それでも付き合ってくれる。
で、その友人たちから僕という人を客観視した視点から、僕を解析してもらうと
「難儀な人」
という回答をもらった。
「へぇ~」
だ!
小さい小さい頃から学校の人気者として、ずっとやってきたのに、かたわを超える程の難儀な人だったとは、ショックである。
翌日、うどん屋さんの店長に僕の胸の内を告白するも、僕と同じ守備位置のオジサンが5月半ばで辞職することが急遽決まっていて、野球で例えると2人しかいないキャッチャーが同時に抜けてしまうと試合が出来なくなる。
それで店長は、僕に猶予期間を設けてしまった。
僕も、この店長さんには、大変お世話になったので、6月いっぱいまでと言うことになった。
うどん稼業は、とりあえず終了と相成ります。僕の部屋には記念として、麺切り包丁の付いた長いまな板が残った。
これは、今後ライブの小道具として使っていこう。
18日水曜日、ルカ先生のボイトレ教室。
何となくであるが、この殻を破れば超自然に歌え出すこと間違いないと思える部分に遭遇する。
そんなことを先生に告げても、先生は、ただただ苦笑いするだけであった。
先生の前で歌、歌うことは、野球で例えるとノックを受けてる感じで、先生から檄が飛ぶ
「もう下手な歌は、聴きたくないの!」
とかね。僕は遠慮なく言って貰い、どんどん追い込まれて、次第に良くなっていく。
先生は尊いので、先生の言葉は素直に聞けるが、キライな人の言葉は、どうして素直に聞けずに腹が立つのだろう。
見下しているからか?
まだまだ成長途上にある故に一喜一憂してしまいますね~。
19日木曜日、初のワークショップに参加!芳垣先生のワークショップだ。音楽の先生と生徒たちが理科実験のような取り組み方をして音楽を楽しむというような図式で、最初は全然知らない人たちの集まりなのですが、授業が進むにつれ、徐々に一体感が出てきて、最後の方は、クラスという感じになっていた。
先生のお言葉で、音楽も人と奏でるとき、相手を全面的に受け入れて奏でるんですよ~と言っておられたのが、とても印象的で、これは、なんにでも通用することだと思った。
あと、音1つ1つを大切にしてくださいとも言っておられた。
これはルカ先生も言っておられたことだ。
とにかく音楽家の頭の中を覗かしていただけたような気になった。
僕は、大げさじゃなしに、驚愕した。
「この人、凄いな~スゴイな~」
と思いながら西宮から京都まで、一緒に帰った。ちなみに芳垣先生のご実家は京都で、事情があって別々に住んでいる僕の子供たちの家の近くなのである。
それと、この帰り道、十三で久しぶりにベースの船戸さんに偶然出会い、仲良く3人で京都目指して帰ったのであった。
翌20日金曜日、この日、岡山に住む後輩の岡野君と芳垣先生のコンサートを見に行く。京都御所の近くのホールで行われ。
レナード衛藤の和太鼓を中心にサブの和太鼓3名、タップ5名、ドラム2名ひとりは芳垣先生の変わりに変わった編成の名人芸を見てきた。
昨日のワークショップの影響もあったので、音1つ1つを味わって聞き、先生のドラミングに再び驚愕し、あのドラミングで、僕、歌、歌っているんだと思うと、ションべちびりそうになった。
僕も音楽とは言わないが、芳垣先生が恥じないようなステージングをしていこうと誓った。
それには修行が必要だ!
一人で何か出来るようにならないと!
人にばっかり頼って、頼っていたな~。
うどん屋さんが6月に終わります。
そこから先、ヌルピョン、一人でもできるよう励むぞ~!