先週末、お上から追放令も下りていないのに、気分に任せて、防人の一兵卒にしか過ぎないのにクーデターを起こしたヌルピョン選手でございます。結果はいかに?
宝塚記念も終わってしまい、春競馬は幕を閉じました。
ゴールドシップは、やっぱり強かった。
はい、ヌルピョン。来月からカオサンロードでバーの店長さんやることになりました。めでたし、めでたしです。
職がないのは憐れである。長~い長~い夏休み、やっと終わってくれる。何年続いたであろう夏休み。
途中、半年だけアルバイトした記憶が残っている。屈辱的なパワハラを受けた記憶は、もう忘却の彼方に。
そしてバンコクに移住して、おおよそ1年が経とうと、同時にタイ人と1年間、同居した。ほぼ毎日ケンカする日々が続き、疲れてしまったので、先週末とうとう時期尚早(お上から追放令も王政復古の大号令の勅も下りていない状況)ながらクーデターを決行。
準備不足と相手は正規軍なので軍備も整っているので、なんぼ不意打ちでも互角に戦ってくる。一進一退の攻防が一晩中続く。
相手の正規軍を10回アパートから追い出すも、10回侵入を許してしまう。
また、正規軍は後詰めの軍にも連絡をとり挟撃の構えを見せたので、これは不利と見た防人軍は一時講和の申し出を、双方、講和の条件を聞き入れ兵を退いたのであるが、数時間後、再び乱が勃発!
「前9時間の役」以上に激しさを増し、とうとう刃物が登場し出した。この刃物が登場して乱が終結するまでを「後3時間の役」と呼ぶ。
相手は正規軍なので武器の使用が玄人なのである。
一方、当方は武器の所有が認められない、防人といえど。日本国憲法に定められているので、正当防衛しか無理なのである。刺されてからしか武器が使えない。それだと手遅れである。
相手は左手に包丁、右手に果物ナイフ。もし手裏剣みたいに果物ナイフを投げて来たときどうしよう?
武器の使用が認められないから戦う場所も考慮しないと、圧倒的に不利になる。
そこで防人軍はアパートの部屋を出、廊下に陣を張り、いつでも逃げれる体制を拵え、ナイフに対する備えは傘に。
傘を広げ、投げてくるであろうナイフに備える一方、傘で槍代わりを。
傘は何と、矛と盾を兼ねてしまった。
が、乱後この日本から連れて来た傘は戦死してしまう。
戦死理由は、勤続疲労から来る骨折れだ。
この1年間、雨の多いバンコクで、よく広げたりすぼめたりして、寂しいバンコク生活を共にしてきたが、さらに戦場で激しく広げたり、すぼめたりを繰り返したので、くたびれてしまい、乱が鎮まり、ふと傘を見ると3本も骨が折れていた。
激しい戦(いくさ)だったんでしょうねぇ~。
僕もずいぶん雄叫びを上げていた。声でずいぶん威嚇していた。
ゆえに隣近所は静まり返っていたが、同じ5階フロアーでも距離のある部屋からはオーディエンスが合戦の成り行きを注目していた。
僕も左手をケガしていた。正規軍が投げつけた金属が、左手の甲を襲い腫れ上がっていた。
双方、長~い長~い合戦に厭戦気分が充満し、怒っていることがバカバカしくなり、双方、勝手勝手に兵を引き上げってしまった。乱は鎮まった。
講和ということになった。
この乱後、正規軍は防人軍に対して干渉しなくなった。とりあえず自治権は奪取した。
今後まだまだ紛争が勃発するかもしれない政情不安な、スクンビット・ソイ22近辺、今、バンコクのサラエボと呼ばれている。
このように海外生活というものは、日本、いわゆる母国で住んでいるのとは違うから自分のことは自分で守らないといけません。完全アウェーイです。
仮に刺されて病院に行ったところでアウェーイです。1から10まで己で説明しないといけません。
なんでも自分です。防衛力が高い方が外国生活は向きます。そういった意味では、僕は向いています。僕の自分を守る能力は芸術的な領域にあるからです。
ただし僕も刃物が出てくる争いごとは35年ぶり2回目だったので、緊張が走りました。
簡単に銃や刃物が出てくる理由は、感情が抑えられなくなるんです。怒りで。僕は自分の感情が抑えられなくるなんて、今までありませんが、同居人を見ていると羨ましくもあります。感情に正直だから。
しかし、動物じゃないんだから、そこは抑制しましょう。
スクンビット・ソイ22パクソイ動乱跡地。特に激しい攻防が繰り広げられたチーチンダーマンション丘陵付近の写真である。