脱糞継続中=僕は、わりと早い段階、そうですね~思春期と呼ばれる頃には、もう「痔」だったと思われます。
いや、確実に痔を患っていた。
童貞である、とか以上に気になっていた。
「将来、手術を受けないと行けないようになるのか~。」
などを考えていると怖くて怖くて仕方がなかったので、誰にも痔のことは言わなかった。
いや、言えなかった。
また家族全員「痔」だったので、僕だけでも「痔」じゃないことをアピールしたかった。
おやじが「痔」で手術して、その後の姿、手術してもらっているときの姿などを語り聞かされたので、尚更、恐ろしくもあり、なんとか自力で「痔」を克服したかった。
出来るはずもないのに、微かな希望を持っていた。
しかし、ある日おやじに見つかった。
見つかってしまった。痛恨の凡ミスを犯してしまった。
うちの家には、お風呂がなかった。たぶん貧乏だったのだろう。
確かに家も小さかった。
僕たち兄弟が大きく成りだしたので、子供部屋を作るために、2階を増築したが、結果2階は1階より大きくはみ出した家が出来上がってしまった。
おやじは大工で、苦肉の策で、こんな中国人が考えそうなことをした。僕たちアホな兄弟のために。
アホな兄は、4つ年上で、昔々僕が幼稚園児の頃、オナーン(自力で恍惚を求める行為)を授けてあげたが、その良さが理解出来なかった人物であるが、とても真面目な人である。
その点で、僕より勝った人物と言う事になり、僕はアホでナマケモノになった。
そんな僕だから、おやじの目の前でやらかしてしまったのである。
風呂なしの家族は、銭湯に行かざる得ない。
中学生になっても、「痔」が見つかっても、大人になっても、おやじと一緒に銭湯に通っていた。
ある日、風呂場でおやじの目の前で、湯船に向かって飛び込むマネをした僕の肛門は、おやじに向かって、おもいっきり挨拶していた。
飛び込むマネを切り上げた僕は、おやじのいる方向に振り向くと、おやじは、
「お前、痔やないか~。」
と風呂場で僕を罵倒した。
周りにいる人にも完全に聞こえるボリュームで。
ところが僕は、周りの反応なんかどうでも良かった。
それよりも家族に「痔」が、ばれたことが痛恨の極みだった。
うなだれた。
「へぇ~、いつか手術しないといけないのか~」
と、大事に守って来た橋頭堡が陥落した瞬間だった。
そして今、辛いものが主流のバンコクの食事事情であるにも関わらず、悪化させずに至る。
なんとかここまで、手術せずに来られました。
が、僕の新妻が豪快なものをお持ちなので、それの方が、今や心配の種である。
これは、ちょっと昔の話しですが、結婚する前で、僕がまだ日本に住んでいた頃のこと。
SNSで、何か赤黒く腫れ上がったモノが写っている写真が、2枚も3枚も送られて来た。
僕は、最初チラッと見ただけでは、それが何か解らなかったが、凝視して見ると、それは僕の持ち物より、さらにぶっ飛んだ、ある意味尊いものが写っていた。
ご本尊のようなモノが。
僕は、小さい頃からひた隠していたモノを彼女は、あっけらかんと僕に公表してきた。
「すごい!」「すごい!」
僕は、彼女を超える女の子に、今後会える気がしなくなった。
心の底から笑える女の子に、初めて出会った。
バンコク様様である。
僕は、夫婦の前にコンビを組みたいですもん。
そして、やはりバンコク、空恐ろしいところでありました。
いますね~、ぶっ飛び屋さんが、見つけてしまいました。
流れ流れてバンコクに漂着した日本人、Eico。
これまた、心の底から笑かしてくれる歌姫です。
また、ゆっくり彼女の逸話も違うシリーズでお届けいたします。
粉末のお茶っぱ入れて、望郷の日本を忘れないようにしています。